適当人生

田舎でのんびりやっとります。

タバコとコーヒー 

いま高知は気温4度くらいか。4度くらいならまだ全然暖かく感じるな。

今年購入予定の北関東はマイナス5度は普通にいくらしいが慣れれるだろうか。

そこは薪ストーブ様に祈るしかない。

 

タバコとコーヒー。

 

これがなければ一日すら始まらない、もちろん依存はあるのだろうが自分の人生に密着しているとしか思えない。疑いようの無い文化だと納得している。

金がなくなって一番に心配になるのはタバコとコーヒーだ。無いのがありえない。

酒や食が欲求の上にくると自然に思っていた私には面白い発見であった。

日常の中のflowを食べて生きている様なものだな。

 

食で主に食べるのは、

パン、シャウエッセン(あのシャウエッセン)、卵、焼きそば、えのき、納豆、

袋麺、ポタージュ(クノールじゃがいも)だろうか。このルーティーンが多いな。

一人で手間をかけた料理を一人で食べるというイメージが全く湧かない。

仕事で料理をしていると、自分で作ったものは味が想像ついてるのでいかんせん面白くない。 一人で旨いものを食う虚しさを危惧する程だ。

 

酒や食は共感がないとあまり喜びを実感出来ないのではないかと思う、

酒は音楽があれば共に楽しめるからそれはたまにするが。

 

 

必要な物

ここ高知の陸の孤島では短期バイトを探すのが難しいので、

ヤフオクで私財を切り売りして生きております。

なんだかんだでなんとかなっているので、ギリ長野行きまでは持ちそうだ。

(しかし知人に金は借りている)

 

売ったもの覚え書き。

 

maschine micro  23000円

GTX 1060 3G     13000円

石油ストーブ     5000円

メモリ8G      4000円

 

これから売る

 

メモリ8G      4000円

CPU                      7000円

デジカメ               7000円

 

しかし物売れた金でカジノで負けてたんで本末転倒。

年末とは違って負け続きだったので、今合計調べたら500ドルくらいだった。

給料入ったら取り戻すぞ。

カジノはちょっと勝つと調子に乗ってレート上げて撃沈の流れが

いつもの敗北パティーン。

頭が熱くなるのを実感出来るほど没頭してしまうので

気が付いたらいつも残高がゼロになっているのである。「ヤベーもん覚えちゃったな」

 

オンラインゲームも辞めてみると

案外毎日ある義務感に包まれていたのだなぁと感じた。

なんか憑き物が落ちた感じ、のんびりモードになってきたのもそのおかげかなぁ。

いうてゲーム内で殺し合いしてるもんね(笑

 

そうこうしている間にメモリが売れたので朝になったらヤマトにいこう。

 

文化の枕

今日はとてもよい睡眠がとれた。数年振りの。

よだれを垂らすほど。

 

文化的なものに人は包まれて生きることが最も幸福であるし、それを直感しているからこそ、無い頭を捻って考えていたのだなと目覚めて実感。

霧が晴れる様に私の中の暗黙知達が仕事を一段落終えた気がする。

この日記という習慣もとてもよい習慣であろう。

 

問題がある状態では脳が緊張状態にあるのであろう、まっとうに機能した社会ならば、そういった大事は皆の知恵を出し合って解決していくのであったが、今の人々が分断された社会ではいかんせん個人でなんとかするしかないのだなと。

 

それは何を表しているかというと、もちろん次の文化に向かう胎動のようなものなのかもしれない。

 

今日はとても久しぶりに再開した、こののんびりとした感覚に身を委ねようと思う。

目標様

「どんな目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない!」

最近一番刺さった言葉、さすが三島由紀夫先生です。

 

遂に天から目標様が降りてきてくださったので実行に向けての書き置きをこちらに。

 

出稼ぎ手取り合計 150万

 

土地・電気引き込み 30万

原付        10万

薪          4万(くらい)

テント・寝袋     3万

自転車        1万

便槽・トイレ     3万

その他       10万

 

合計        61万

 

最低70万はいるな、てことは残った80万で七ヶ月過ごす形となる

去年は何故か金が一切貯まらなかったのでちゃんと計算して使わねば。

けっこう稼いでたのになんに使ったんだろ?マジで。

 

 

 

今後の人生の流れ

来月から出稼ぎにいく事だし出稼ぎが終わった時の事をここで考えてみよう。

 

現在 高知のタダ同然の家賃に住んでいる。

大体1年住んでみた感想

 

田舎暮らしと自然暮らしは違う。

改築できない借家は窮屈だ。

六畳一間と土間とトイレ、電気、水があればいける。

近所に人が住んでいるのは鬱陶しい。

 

 

かといって今から賃貸に住むのも馬鹿らしい、ましてや季節労働なので7ヶ月は空家賃になる、なので家でも買おうかと調べてみると最低でも70万はするし、住宅ローンなども組めやしない身分。

 

やはり廃別荘地を20万くらいで買ってとりあえずテントでも張って生活するかな。

この家隙間が多くてあんまり外と変わんないしなぁ。

 

文化との接触も殆ど無い生活だしなぁー。

言うほど自由も感じないしやっぱ土地買ってテント生活でも

するか!オンラインゲームにもう未練はないしな!やるど!

 

寝床から虚しく天井を眺め今の蒙昧な生活に煮詰まって居たときに思ったのが

「この状態は自分に対案が出せていないからだ」と確信したのを思い出す。

 

とりあえず暖かい寝床を作ろう。いい寝袋買って。

遂に3月

ついに3月がやってきた。

 

この4ヶ月間は人生で最も心が揺さぶられることのない蒙昧な時間であった。

絵画の抽象性の中に身を投じることすらままならず、よくもまぁこんな中途半端な心持ちになれるものだと自分でも驚く。

ここまで来て自分の中に残っているものがあるとすればそれは「美」への郷愁だけである。

生活的なものに関心はなく経験的なものは一通りすんだ気でいる。

最近ぼんやり考えるのが、いっそ自分の中に宗教・もしくは社会を構築すれば自ずと目標という答えが現れるのではないかと、その中で生きればある抑揚も生まれよう。

 

この生活をしていて気づいたのは映画イントゥーザワイルドの最後の一文であった事に酷似してゆく。

人間はそもそも社会動物であって外的要因がなければ存在しがたい。

 

「誰かが認識することで、その存在が確定される」とノエインのトビくんが言って居たように。

 

現在の自分は社会的に存在していない事になるのだろう。

なぜなら私はこの社会を真っ向から否定しているのだから当然の報いであろう。

それにおいての対案が弱い・確定しないからの現状である。

ならばやはり脆弱で拙くてもいいから自分で社会的・もしくは宗教的な原理を見出しその中で生きなければならないのではないか。

 

集中が切れたので、今日はここまで

 

生老病死に花無心

生老病死に花無心

 

心の中を逡巡する様々な思いが増水した川の濁流の様に過ぎゆく。

日々は過ぎ去りまた明日への時間となる。

フィボナッチ数列のような法則がこの世に流れるのであれば

人の生きる時間というのものも法則が支配しているのかもしれない。

近頃よく考えるのが春夏秋冬が加齢において人に備わっているのではないかという事。

36歳の私は秋になるだろう。寿命が70歳までとしてもバランスがおかしく思うが

秋が長いのか冬が長いのか、はたまた一周して春がくるのやらわかりもしない。

しかし秋に入り変化があるとすれば、今までは揮発性の高い対人的な振る舞いを好んで

いたのだが、そういった欲求が途端になくなった事が自分でも驚くところである。

他者からすれば自己主張や承認欲求なるのであろう振る舞いなのだが、実のところそれを他者に理解を求めるかどうかだけであって内在する本質は一つも変わっていない。

自分がこの世界で発見した事を共有したかっただけなのかもしれないが世の人々は

生活に追われているので、彼らにはちょっとしたTVの小番組を見た気なのかもしれない。

このカオスな世界に均衡を求めるのは難しい、生産的なものと存在しているものが交わり始めたこの混沌はまだ溶け合っていないのかと思える。

 

どんな目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない!

三島由紀夫

目標に陶酔できる幸せはこの上ない。

今は人生で初めて目標を喪失した状態で生きている。

まるで漂流だ。

あてどなく水平線の彼方を眺め、夜には煌々と輝く北極星を観る。

 

嫌いな人の真実よりも、好きな人のうそがいい。

ハンナ・アレント