生老病死に花無心
生老病死に花無心
心の中を逡巡する様々な思いが増水した川の濁流の様に過ぎゆく。
日々は過ぎ去りまた明日への時間となる。
フィボナッチ数列のような法則がこの世に流れるのであれば
人の生きる時間というのものも法則が支配しているのかもしれない。
近頃よく考えるのが春夏秋冬が加齢において人に備わっているのではないかという事。
36歳の私は秋になるだろう。寿命が70歳までとしてもバランスがおかしく思うが
秋が長いのか冬が長いのか、はたまた一周して春がくるのやらわかりもしない。
しかし秋に入り変化があるとすれば、今までは揮発性の高い対人的な振る舞いを好んで
いたのだが、そういった欲求が途端になくなった事が自分でも驚くところである。
他者からすれば自己主張や承認欲求なるのであろう振る舞いなのだが、実のところそれを他者に理解を求めるかどうかだけであって内在する本質は一つも変わっていない。
自分がこの世界で発見した事を共有したかっただけなのかもしれないが世の人々は
生活に追われているので、彼らにはちょっとしたTVの小番組を見た気なのかもしれない。
このカオスな世界に均衡を求めるのは難しい、生産的なものと存在しているものが交わり始めたこの混沌はまだ溶け合っていないのかと思える。
「どんな目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない!」
目標に陶酔できる幸せはこの上ない。
今は人生で初めて目標を喪失した状態で生きている。
まるで漂流だ。
あてどなく水平線の彼方を眺め、夜には煌々と輝く北極星を観る。
嫌いな人の真実よりも、好きな人のうそがいい。
ハンナ・アレント